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過去の舞台・ 2018年 


天才バカボンのパパなのだ    リーフレット  2018.8.10

劇場・料金

下北沢  小劇場B1

作・演出

作:別役実  演出:神品正子

出演者

藤田宗久 岡本瑞恵 山口眞司 村中玲子 上杉陽一 永野和弘 松木 美路子 井草加代 久井正樹

舞台の感想

「別役実のコント教室 不条理な笑いへのレッスン」の最後のページを読むと、別役は「不条理ふうの劇」と「不条理コント」を別のジャンルと捉えていたようだ。そして「不条理コント」の評価基準のひとつとして「観客が笑う」をあげている。
この点から、この「天才バカボンのパパなのだ」は別役の不条理コントの代表作といえそうだ。
注1)

この劇について「観客が笑う」以外の特徴として気づいたのは、台詞の大半が論理学でいう論理式で表現できる点である。
たとえば冒頭のシーンで、署長が「ここに電信柱があったので、その横に交番を設置したのだが、この電信柱がもし電信柱でなかったら、どうしたか」と若い警官に問いかけている。

これは
「(ここに電信柱がある)ならば(その横に交番を設置する)」のとき、
「(ここにあるのが電信柱でない)ならば(その横に交番を設置する)」は真か偽か、
あるいは
「(ここにあるのが電信柱でない)ならば(その横に交番を設置しない)」は真か偽か

という文章にすることができる。さらに

A:ここに電信柱がある
B:その横に交番を設置する

として、論理式で表すと

A→B ならば (〜A)→B    は真か偽か ・・・・(1)
あるいは
A→B ならば (〜A)→(〜B) は真か偽か ・・・・(2)

注:(〜A)は「Aの否定」の意味。
注2)

若い警官は回答に詰まってしまう。論理式では上記の(1)(2)とも偽なのだが、人間はこうした論理構造を理解するのは不得手なのだ。しかも何やら胡散臭いものも感じてしまう。詭弁の論理や詐欺師のやり口に類似あるいはそのものだからだ。
加えて、劇中ではバカボンの登場により「C→D」が、ママの登場により「E→F」が、それぞれ登場人物が増えるたびに論理式が増えていき、より複雑な論理構造になっていく。

これとは違う論理式のパターンを示そう。後半のシーンで若い女性が質問に答えるたびに若い警官が服を脱ぐのをみて、バカボンが自分も服を脱ぎたいと言いだす。

G :女性が質問に答える
H1:警官がシャツを脱ぐ  
H2:警官がズボンを脱ぐ
I :バカボンがシャツを脱ぐ

当初バカボンは次のように主張する。
「女性が質問に答えると警官がシャツを脱ぐ」ならば「女性が質問に答えるとバカボンもシャツを脱ぐ」
G→H1 ならば G→I         ・・・・・(3)

この後、いろいろとやりとりがあって、結局は次のように落ち着く。
「女性が質問に答えるとバカボンがシャツを脱ぐ」ならば「女性が質問に答えると警官はシャツとズボンを脱ぐ」
G→I ならば G→(H1 AND H2) ・・・・・・(4)

(3)と(4)の論理式を比べると、「G→I」が(3)の右辺から(4)では左辺へと移動しているのに気づく。これは詭弁のテクニックだ。

背理法を使って説明してみる。(3)と(4)の論理式を合体させると、
G→H1 ならば G→I ならば G→(H1 AND H2) 
中間の「G→I」を省略できるので、
G→H1 ならば G→(H1 AND H2) 
結果をみると、左辺に比べて右辺は「AND H2」が追加されているので、この論理式は背理法で偽と証明できる。つまり詭弁なのだ。しかし日常会話で背理法を使った内容を理解しろというのは、普通の人間にはムチャというしかない。
注3)

話は少し脱線するが、上記のような詭弁の論理のフォーマットはある程度決まっているわけだから、論理式のAやBに当てはまるように適当に文章を作成すれば、別役のいう不条理コントは機械的に作れそうに思える。今やAI(人工知能)が「小説らしきもの」を書いてしまう時代である。AIに不条理コントの脚本を大量生産してもらうことも十分可能ではないか?

ところが、そうはいかないのである。
AIが「小説らしきもの」を書けるのは、小説には明快な評価基準がないからである。なぜこの作品が芥川賞を受賞するのか、なぜ村上春樹はノーベル文学賞を受賞できないのか、明快な回答は存在しない。新聞記事によると評論家もAIが書いたものが「小説」なのか、「小説らしきもの」なのか、単なる駄文なのかすら回答できないらしい。

しかし、不条理コントには「観客の笑い」という明確な評価基準があると別役は主張する。
すると、AIに不条理コントの脚本を書かせるためには、過去の上演時に俳優からどんな台詞が発語されたときに観客がどの程度笑ったかという測定値のビックデータが必要になる。このビックデータさえあれば、後は勝手に、AIが不条理コントの脚本を作成してくれる。
ところが、実際にはそんなデータは計測されていないだろうし、さらに脚本や俳優の技量以外の要素も、「観客の笑い」に影響する。たとえば劇場の雰囲気、観客の年齢層や性別、サクラの有無などがあげられる。

この点からいえば、「日本を代表する不条理劇の第一人者が脚本を手がけた」などのコピーは、観客を身構えさせてしまうだけで、笑いにくくさせる効果しかない。不条理コントを手がける別役にとっては有難迷惑なものでしかなく、むしろ営業妨害に近いものだっただろう。

注1)
別役がいう「不条理ふうの劇」「不条理コント」の特徴を下表にまとめてみた。

表  「不条理ふうの劇」「不条理コント」の特徴(暫定版)
ジャンル テーマ・思想 台詞の特徴 観客の様子 代表作
不条理劇 実存主義哲学の不条理に関連するもの ほとんど論理式で表現できない あまり笑わない 「ゴドーを待ちながら」
S.ベケット
不条理ふうの劇 ?  ほとんど論理式で表現できない あまり笑わない 「壊れた風景」
別役実
不条理コント 笑劇・詭弁の論理 大半が論理式で表現できる 笑う(観客が笑うことが評価基準) 「天才バカボンのパパなのだ」別役実

注2)
「A→B」の形式の論理式で真になるのは、次の1つだけだったと思う。
 〜(A→B) ならば (〜B)→(〜A) 
したがって、上記の論理式以外はすべて偽であり、詭弁の論理に流用できる。

注3)
この「服を脱ぐ」かどうかのシーンに典型的に表れる構造がある。これを次に示すと、
1.ひとりが、突然奇妙なことを言い出したり、やり始める。(若い警官が服を脱ぎだす)
2.別の人が、同じことをやりたいと言い出す。(バカボンが自分も服を脱ぐと言いだす。)
3.「完璧な平等」についての議論が起こる。
4.結果的に、当初の目的「若い女性の話を聞くこと」が忘れ去られる。

3番目にあげた「完璧な平等」についての議論について補足すると、バカボンの表現の自由と若い警官の先行者利益を考慮して、「バカボンはシャツを脱ぐ、若い警官はシャツとズボンを脱ぐ」が両者にとって平等だと決着する。
続くシーンでは、若い女性が持っていた薬を、単純に同じ量で平等に分配しているかに拘る。
そしてその結果、いずれの場合でも当初の目的「若い女性の話を聞くこと」が忘れ去られる。

「お笑いは緊張と緩和」と言われるが、この脚本にあるのは大半が「緊張」である。論理式に変換できる台詞、詭弁の論理、完璧な平等についての議論、ブラックな結末など。
「緩和」にあたるものは脚本にはなく、全て俳優のリアクションに委ねられている。つまり、演出家や俳優の技量に強く依存した作品といえるだろう。