▼山口眞司 過去の舞台 |
●過去の舞台・ 2019年 ◆ダウト リーフレット 2019.10.29
■仮説4:校長が泣き崩れる理由 − I have douts. I have such doubts. 【次のようなドラマを見た記憶があります】 (1)審判の場 フリン司祭の事情聴取は長期間になりました。その間、校長はこの件を口外しないこと、呼び出しがあればすぐに対応できるように外出しないことが命じられています。フリン司祭の後任はすぐに派遣され、授業には支障がないように配慮されました。(注1) 結局年が明けて、新年早々に校長は呼び出されました。その会議の場には司教や各教区の主任司祭が揃っていました。まず司教が校長に問いかけます。 「最初に確認しておきたい。あなたはフリン司祭が男子生徒に性的ないたずらをしたと確証はないが疑っている。フリン司祭が以前いた教区の修道女に問い合わせたところ、その修道女がかつてフリン司祭が法を破った前歴があると証言している。ということでいいかな。」 校長は「そのとおりです。フリン司祭は5年間に3回も転勤しています。それは他の教区でも問題を起しているからでしょう。調べてください。」と答えます。 司教は「あなたには伝えていないことが2つあります。」といい、次の内容を説明し始めます。 1つ目はドナルドについてで、フリン司祭にはいじめなどの問題が起こらないように特別に配慮するように命じていたこと、そしてドナルドが無事に卒業し高校に入学したときは、昇進の約束をしていたことです。フリン司祭は昇進の約束を棒に振るようなことはしないだろうというのです。 またドナルドが礼拝用のワインを飲んだ件は、ドナルドと一緒に礼拝の準備をしていたジミーが誤ってワインをドナルドにかけてしまったもので、校長が想像するようなものではないと分かったというのです。(注2) 2つ目はフリン司祭が「5年間に3回も転勤している」件で、これも司教からの指示で転勤しているので、特に問題を起したわけではないといことです。念のためフリン司祭が以前いた教会や学校をくまなく調べたが、全く問題がなかったとのことです。 司教は言いました。 「これらことをあなたには伝えておけば、フリン司祭を疑うことはなかったかもしれない。あなたには今のところ問題はないと考えている。しかし、フリン司祭が法を破った前歴があると証言している修道女については、明らかに虚偽の告発をしている。その修道女の名前を教えてほしいのだ。」 校長は、修道女の名前は明かせない。フリン司祭のことをもっと調べてほしいと訴えました。 司教は言いました。 「実は、フリン司祭はセント・ボニフェスで起きたA司祭の事件について、秘かに内部調査をしていたのだ。 あなたも事件が起こる前にセント・ボニフェスにいたようだから、少しは聞いて知っているだろう。実はA司祭がセント・ボニフェスで罪を犯したことは間違いないが、それ以前にいた教区では法を破った前歴はなかった。匿名の修道女が虚偽の告発をしたのだ。 それでその虚偽の告発をした修道女を探しだすように、フリン司祭に命じていた。 今回の件は、セント・ボニフェス事件と非常に似ている。 『教育熱心な司祭について、性的いたずらをした疑いがあること、以前にいた教区の修道女が彼に法を破った前歴があると虚偽の証言をしている』ことが共通している。 セント・ボニフェスの場合は、 (告発者)スカリー主任司祭 + 司祭が以前いた教区の修道女A 今回は、 (告発者)校長 + 司祭が以前いた教区の修道女B われわれはこの「修道女A」と「修道女B」が、同一人物である可能性が高いとみている。少なくとも重要参考人として、2つの事件の関連性を調べる必要があるのだ。 そこで校長、あなたに命令する。虚偽の告発をした修道女Bの名前をいいなさい。 もしできないというなら、そのときは・・・・」(注3) (2)ラストシーンの謎 女性教師が休暇から戻ってきて、いよいよラストシーン、校長と女性教師の会話になります。 女性教師は一貫してフリン司祭を疑っていないので、どういう結果になったのか校長から聞き出そうとします。しかし、会話の後半になって校長の話の辻褄が合わなくなるのです。 結論から言うと、校長は会話の前半の「フリン司祭が昇進した」というまではフリン司祭のことを語っています。 その後は、フリン司祭の件ではない 別の事柄(セント・ボニフェス事件)について話しているのです。(注4) では、この場面は最も重要なので、映画の字幕を参考に逐次みていきましょう。
S.Jは、シスター・ジェイムス(女性教師) つまり、「わたしは信頼する上司にいいました」から「そして彼は辞任した」までは、セント・ボニフェス事件のことを言っているのです。(注6) 女性教師は、校長の言葉が要領をえないため、ことの子細はわかりません。ただ結果として何が起こったのかは分かりました。そして校長を慰める言葉がなかったのです。(注7) 校長は最後にこういって泣き崩れます。その後は言葉になりません。 「わたしは疑いを持ったのです。そんな疑いをもったのです。」 I have doubts. I have such doubts.(注8) (注1) 急遽派遣された司祭の役目は、通常の教師の業務のほかに、ドナルドの面倒をみること、校長が逃亡を図ったり、不審な行動をとらないように監視することです。 (注2) 「第1部 劇の背景」の(注2)「(2)告白」を参照。 ジミー少年が自責の念にかられて、フリン司祭の後任の司祭に話して分かったと仮定。 (注3) この校長を追いつめ、自白させるトリックに気がついたばかりに、わたしはこんな長々とした説明をしてしまったのです。 (注4) このラスト間際の会話のやり取りで、何かが変だと思わせるところにこの劇の面白さがあるし、やや懲りすぎの面もあるわけです。 「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か)」の「(1)セント・ボニフェス事件」を参照。 (注5) セント・ボニフェス事件の場合は、スカリー主任司祭の死が代償となりました。今回は校長自身が代償を払わなくてはならないのです。 (注6) 「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か)」の「(1)セント・ボニフェス事件」を参照。 (注7) 聖職者(修道女)が嘘をつくだけでも神に背く大罪です。それを同僚の司祭を陥れるために使ったのですから、結果は想像がつきます。 そしてフリン司祭が懺悔を促したのにもかかわらず、それすらも拒否してしまったので救いようがないのです。 校長はフリン司祭との対決のシーンで述べたとおりになりました。 「必要なら教会の外にも行きます。たとえ教会から追放されようとも。 やるべきことをします。たとえ地獄に落ちようとも。」 (注8) "doubts"が複数形であることがポイントなのです。校長の疑いが大きく分けると2つになるためです。 1つ目はセント・ボニフェス事件のA司祭への疑い、2つ目はフリン司祭への疑いです。 ■おわりに 映画のDVDの付録にあった俳優陣4人のインタヴューで「映画の観客は10分たつとその映画の内容を忘れてしまうことがある。演劇の観客はそうではない。何週間後でも内容を考えている」というようなことを言ってました。 最後のシーンの校長と女性教師との会話で、何かおかしいと気がつき、おかしな原因は何かと長く考えるかどうかで、その観客の感想は大きく変わってしまう、そういうタイプの演劇だと思います。 舞台設定が教会であることに注目すれば、いわば「教会・修道院もの」になります。何らかの形で聖職者のタブーがストーリーに関わる可能性が必ずあると考えるべきでしょう。 ・嘘をついてはならない ・懺悔のシステムを悪用してはならない ・恋愛(もちろん姦淫も)はしてはならない ・勝手に外出してはならない ・贅沢をしてはならない 英語の字幕がないと理解できない台詞もありますし、全体的に懲りすぎな構成になっていて理解しにくいのは確かです。 性的犯罪者を告発する困難さとか、男性社会に立ち向かったキャリア女性の挫折とか、単なる校長のパワハラ劇など、いろいろな見方も当然できます。 ここに示したのは1つの仮説だと考えてください。 私がかつて観たドラマでは密命を受けた神父が主役で、教会内でおきた事件を解決するものでした。この劇(映画)は若い修道女の視点から再構成したのではないか。その結果、フリン神父が謎の多き人物になり、観客にとって不可解な結末になっています。この不可解な結末の謎を観客にどうにか解こうとさせるところに、この劇の面白さがあるような気がします。 |
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