山口眞司の舞台

「メリーさんの羊」特設ページ コラム3  


「メリーさんの羊」と三鷹事件(その2) 


三鷹事件と「メリーさんの羊」の上演スケジュール

ここからは「メリーさんの羊」(中村伸郎主演)の上演スケジュールからみた、三鷹事件との関係を見ていきます。
結論から言えば、1984年の「メリーさんの羊」の初演は三鷹事件から35年後という節目の年に合わせた可能性があります。三鷹事件を強く意識して公演スケジュールを立てたように思えるのです。

表 「メリーさんの羊」(中村主演)の公演スケジュールと三鷹事件

1月 7月15日(三鷹事件発生日) 9月
1984年 第1回公演 (三鷹事件から35年目) 第2回公演
1985年
1986年
1987年 第3回公演の初日
1988年 第4回公演
1989年 (三鷹事件から40年目) 第5回公演


1.初演・脚本集出版の1984年は三鷹事件から35年目

「メリーさんの羊」は1984年1月に初演、9月に再演されています。また『メリーさんの羊 戯曲集』(三一書房)も1984年に出版されています。
そしてこの1984年は三鷹事件を含む国鉄三大ミステリー事件の発生から35年目にあたるのです。また下川事件、松川事件は時効成立から20年目になります。

節目の年として、事件の関連本の出版や新聞テレビで特集が組まれるなどしたでしょう。
すると、少なくとも「メリーさんの羊」の初演のときには、別役さんより上の世代の方には三鷹事件との関連性に気づいた人も多かったはずです。

前に説明したように三鷹事件の竹内さんは、もし生きていれば「メリーさんの羊」初演の1984年には62歳で、つまり老人の年齢設定と符号していることもその根拠のひとつです。
なお、前にメリーさんのモデルは竹内さんの妻(政さん)ではと推測しましたが、偶然にもこの1984年に竹内政さんは亡くなっています。

2.第3回公演の初日は三鷹事件の発生日

また第3回公演は中村さんの体調などの理由で3年後になりますが、その公演スケジュールをみると初日の7月15日は三鷹事件の発生した当日です。

なお前述した中村さんの「読み返すたびにこの芝居は周到に緻密に、そして美しく書かれている」という談話は、この第3回公演のパンフレットに載せられていたものです。

3.第5回公演(最終)は三鷹事件から40年目

そして中村さんの最後の「メリーさんの羊」公演は1989年で、三鷹事件の40年後にあたります。中村さん主演の「メリーさんの羊」は、三鷹事件の35年後に始まり40年後の節目の年に幕を下ろしたのです。


捕捉1.なぜ9月公演が多いのか

5回の公演のうち3回の公演が9月に行われています。
私も子どもの頃に毎年7月と8月になると、三鷹事件を含めた国鉄三大ミステリー事件について新聞やテレビの特集を見た記憶があります。
すると、「メリーさんの羊」の9月の公演のときには、三鷹事件との関連性に気づきやすい。それを期待して上演スケジュールを組んだのかもしれません。

捕捉2.なぜ第1回公演(初演)が1月に公演されたか

他の第2回から第5回公演は7月から9月に行われていて、冬に行われたのは第一回の初演だけです。
1月に公演できたということは、前年から稽古していて、脚本も完成していたということです。
「メリーさんの羊」の場合は他の別役作品と異なり、鉄道模型やミニチュアの制作や操作などの動作チェックも必要ですから、準備期間が比較的長かったと考えられます。

つまり初演の前年の1983年の早い段階から公演と準備が進められていて、1983年の秋や年末に初演を行うことも可能だったはずです。
しかし、三鷹事件の35年目という節目の年にこだわって、年明けの1月公演になったと推察できるのです。


なぜ三鷹事件との関連性を表明しなかったのか

内容からみても初演の公演スケジュールからみても「メリーさんの羊」と三鷹事件との関連性が深いと説明してきました。特に公演スケジュールに関しては、作者の別役さんが強いこだわりを持っていた結果だとしか考えられません。

では、なぜ「メリーさんの羊」と三鷹事件との関連性を別役さんは明らかにしなかったのでしょうか。憶測にすぎませんが、その理由は3つほど考えられます。

1.わかる人にだけわかればよい
三鷹事件のことを知らない観客でも問題のない内容になっているので、あえて言及する必要はないと考えたのかもしれません。

2.政治的な配慮
三鷹事件に関しては某政党の関係者の関与がとりざたされています。別役さんは某政党の熱心な支持者として知られていました。この劇が政治的に取り扱われるのを避けたのかもしれません。

3.先入観による先読みを防ぐ
「この劇は三鷹事件をベースにして創作された」などと予告してしまうと、観客は劇の途中で結論に気づいてしまいます。老人=竹内さんですから「老人は青年の疑いをはらそうとするが、かなわなかった。」という結末が予想できます。
ここにジレンマが生じます。三鷹事件を参考にして創作していることを明らかにすると、観劇自体の面白みが削がれてしまうのです。そこで公演スケジュールなどから三鷹事件との関連を匂わせる程度にとどめたように思います。


上記の3点は既に三鷹事件の発生から70年以上も経た現時点では、もはや意味を持ちません。三鷹市民でさえ、三鷹事件の存在をしらない人が多くなっています。もはや三鷹事件との関連を隠す必要はないのです。


再び「メリーさんの羊」の重層性について

先に「メリーさんの羊」は舞台空間の中に「鉄道模型+ミニチュア」の空間を持ち込んだ二重構造を持つと述べました。
これに三鷹事件との関係を含めると、下図のような複雑な三重構造になります。

図 「メリーさんの羊」の重層構造(その2)



「メリーさんの羊」の老人は、「私はやっていない。やっていないことをどうやって証明すればいいのか?」と叫びます。この言葉は単に「不条理」な状況を表現した論理的な言説だけではありません。
これが冤罪を訴える獄中の死刑囚の言葉だと気づくとき、「メリーさんの羊」という劇は現実社会の問題とリンクして観客の前に全貌を示します。

「メリーさんの羊」が三鷹事件を参考にしたことは間違いないと思います。当時の社会問題を反映させて創られているのです。
別役作品は「不条理劇」であり、不条理な言葉のやり取りに終始する戯曲であるという先入観で演劇を観ていた、そのことへの反省を込めて述べさせていただいた次第です。

 

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