山口眞司の舞台

山口眞司 過去の舞台  

過去の舞台・ 2019年 

ダウト    リーフレット   2019.10.29

劇場・料金

下北沢 小劇場B1  

作・演出

原作:ジョン・ハトリック・シャンリィ  演出:大間知靖子

主な出演者

眞野あずさ 山口眞司 伊藤安那 村中玲子

その他

2008年に映画化
出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス


第2部 仮説‐「たぶん、そうだったんじゃないか劇場」

 ここからは映画のほうを参考にして、かなり強引な推測をしています。映画のほうが舞台よりも多くのシーンを盛り込んでいるからです。
 なお、台詞については映画の英語字幕と日本語字幕を参考にしました。

【次のようなドラマを見た記憶があります】

仮説1:校長が聞いていたラジオニュース − I have a dream.

 校長は、生徒から取り上げたトランジスタ・ラジオをイヤホンで聞いていて、
「音楽を聴いているのではない。ニュースを聴いて楽しんでいるのだ」と言い訳しています。
 校長が楽しみに聴いているニュースとは何でしょうか?

 劇の時代設定はケネディ暗殺から約一年後、1964年11月です。
 このときにラジオのニュースでよく取り上げられていたのは、キング牧師のノーベル平和賞受賞でした。1964.10.14に受賞発表、1964.12.10が受賞式です。
 そしてキング牧師の有名な演説もラジオで放送されたことでしょう。
− I have a dream.

 校長は活字になったキング牧師の演説を読んだことはありましたが、外出が制限されている修道女ですから肉声の演説を聞いたことはなかったでしょう。
 校長が楽しそうにふるまうのは、唯一この場面だけです。


 私が”I have a dream.”などのキング牧師の演説を聴いていたと主張する根拠は、ラストの場面で校長が泣き崩れる直前に述べた言葉にあります。

− I have douts. I have such doubts.
  私は疑いを持った。そんな疑いを持ったのだ。

 これは、キング牧師の言葉に似ています。
− I have a dream. I have such a dream.
  私にはひとつの夢がある。そんなひとつの夢がある。

 この違い、"a dream"と"douts"の対比が、この劇の根底にあるという仮説です。
 "a dream"を持つことができず、"douts"ばかりを抱いていた女性の悲劇の物語です。



仮説2:校長がいだいた疑い(複数) − I have douts.

 校長が泣き崩れる直前に述べた言葉が、謎を解くキーワードです。
 − I have douts. I have such doubts. 私は疑いを持った。そんな疑いを持ったのだ。

 "douts"は複数形なので、2つ以上の疑いということになります。
 私は大きくあげれば2つ、細かくあげれば数えきれないほどの"douts"を校長は抱いていたと考えます。次に細かく分けたほうの"douts"を列挙してみます。

【次のようなドラマを見た記憶があります】

(1)疑いの発端

 1年前、1963年9月フリン司祭が教区に転任してきて、男子の体育の教科を担当するようになります。勝手に男子生徒の悩みを聞く「男同士の話の会」などを司祭館で行っているようでしたが、教会内では司祭のほうが上司でもあり、校長は口出しもしませんでした。
 他の修道女の教師に訪ねると、フリン司祭の評判はよかったのです。生徒数はどんどん増えていくなかで、特に高齢の修道女には男子生徒はやっかいな存在で、いたずらを見つけて叱るだけでもひと苦労です。それから少女の悩みは理解できるものの、思春期の少年の悩みについては全くお手上げでした。そうした手の届かない所をフリン司教が担ってくれたので、体力的にも精神的にも大助かりだったのです。
 またフリン司祭は院長からも高評価を受けているようで、礼拝の説教も任されていました。

 校長にふと疑い(doubt)が生れました。どうして、こんなやり手の司祭がこの学校に送り込まれてきたのだろう。何か裏があるのでは?
 しかし、こんな疑いもしばらくすると忘れてしまいました。それは11月にケネディ暗殺事件が起こり、その後も公民権法が制定できるかどうかで社会的な混乱が続いていたからです。普段は世情に全く関心がない校長でさえ、アメリカ系アフリカ人が起こした騒動が教会内や学校内に及ばないように心配したのです。そして1964年6月の卒業式が終わり、夏休みに入り、公民権法もなんとか7月に制定されました。


(2)少年の入学

 8月になって入学の準備のために新入生の名簿を校長は初めてみました。ドナルド・ミラーが転校して、本校で初めてのアメリカ系アフリカ人の生徒になることを知ります。これはやっかいなことになったと思います。
 近年はただでさえアイルランド系やイタリア系のがさつな家庭の生徒が増えて困っているのに、そのうえアメリカ系アフリカ人の生徒なんて。そのうちドナルドはいじめの被害者になるだろう、時間の問題だなどと考えます。それで女性教師に「ドナルドに関して暴力沙汰がおこったら、そのときはすぐに校長室に連れてくるように」と命じます。
 女性教師は傍観者のような校長の態度に怒りを感じ、「ドナルドには守ってくれている人がいます。フリン司祭です。」と言い返します。校長は生徒に罰を与えるだけで何もしていないが、フリン司祭はいろいろと目を配って経験の浅い自分を助けてくれていると、女性教師は日頃感じていたのです。
 校長はフリン司祭の行動を疑い(doubt)はじめます。(注1)

 その後、女性教師から「ドナルドの息からアルコールの臭いがした」(注2)という報告を受けて、校長はフリン司祭への疑い(doubt)を深めて、こんなことを言います。
 「何年か前にセント・ボニフェス校にある司祭がいた。だが、あのときはスカリー主任司祭がいた。ここには信頼できる人はいない。私たちが私たち自身で彼をやめさせなければならないだろう。」(注3)

 校長はクリスマスのイベント内容を話し合うという口実を使ってフリン司祭を校長室に呼び出します。
 そこで校長はフリン司祭の奇妙な行動を目にします。フリン司祭は校長室に入るとまっすぐに校長のデスクの椅子に座ったのです。教会の序列では司祭のほうが上司ですから文句はいえないのですが、校長はひょっとするとフリン司祭は自分を追い落として、この校長の椅子に座ろうとしているのではないかと、疑い(doubt)を持ちます。
 またフリン司祭は、突然ボールペンを取り出して小さなメモ帳になにやら書き込んでいます。「何を書いているのか」と問いただすと、彼は「明日の説教のアイディアが浮かんだ」と答えます。
 この話し合いでは、校長はフリン司祭の説明に異論を挟むことはできませんでした。女性教師は「これで疑いは晴れました」とすっかり納得しますが、校長はそうは思いません。


(3)フリン司祭の説教

 その翌朝、フリン司祭が説教をしました。その内容は、ある女がある男について根拠のない噂をしたところ、その夜に「神のものと思われる大きな手が自分を指さした」という夢を見た。次の朝、女は年老いた司祭のところに行き、懺悔をして「噂をするのは罪でしょうか?」と尋ねます。すると司祭は・・・(以下略)、というものです
 校長は、「フリン司祭がメモ帳に書いていた内容はこれなのか、自分をネタに説教を行うなんて」と思います。
 その一方で過去の出来事も思い出しました。「いや、私のしたことは正しかったのだ。説教の女のように懺悔もしたのだ。」と心に言いきかせます。


(4)ラジオニュース・キング牧師の説教

 この後、校長は気分転換も兼ねて、生徒から取り上げたトランジスタ・ラジオを聴いてみました。音楽には興味がなかったので、ニュースを聴くとキング牧師のノーベル平和賞受賞関連のニュースばかりでした。授賞理由は「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」です。
 キング牧師の説教の録音も放送されました。これはすばらしいと校長は思いました。自分もこんな説教をしてみたい、自分ならこんなことを言ってみたい。司祭になって祭壇に立ち説教をすることが、おそらく校長の唯一の夢(a dream)だったのです。しかしこの時代の修道女にはその夢を実現することはできなかった。年下のフリン司祭が説教をする姿をみて、うらやましかったのです。

 またキング牧師の業績や生い立ちなども放送されていました。キング牧師の少年のころを想像していると、ふとドナルド・ミラーの顔が浮かび、そういえばドナルドの両親はキング牧師の支持者だったと思いだしました。
 実は校長は生徒の両親に会うことを嫌い、できる限り避けていました。問題を起こすような生徒の親もまた、やはり問題の多い性格を持つことが多かったからです。
 しかしドナルドの両親は違うかもしれない。そこで校長は決心しました。ドナルドの両親に会って、ドナルドが家で何か言っていないか尋ねてみようと。


(4)少年の母親との面談

 ドナルドの母親はひとりでやって来ました。少し小太りで、高級品ではないけれど落ち着いた感じの服をきちんと着こなしていて、校長は彼女にいい印象を持ちました。
 母親と話していた最初に気づいたのは、彼女がフリン司祭のことをよく知っていることでした。そして彼が不利になるようなことは一切言いませんでした。(注4)

 そして母親にはひとつの夢(a dream)がありました。ドナルドを高校に進学させ、大学にも行かせることです。
 キング牧師の母親も同じような苦労をしながら息子に高等教育を受けさせたのだろうと校長は想像しました。ドナルドや母親のためにも、フリン司祭の件はうまく解決しなくてはと思い始めました。(注5)

 今までは校長はドナルドを厄介者としかみていませんでした。しかし、キング牧師やドナルドの母親との出会いによって、少し考え方が変化していたのです。(注6)


(5)対決(校長バージョン)

 校長とフリン司祭の対決のシーンは、まず校長の心理を中心に順に「校長バージョン」として説明します。
(このときフリン司祭の心理は、後述の「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か)」で「対決(フリン司祭バージョン)」として説明します。)


 校長はなるべく冷静にフリン司祭と話を進めようとします。フリン司祭が少し興奮気味だったこともありますが、ドナルドや母親に影響が及ばないように落としどころが見つける必要があったからです。
 しかしフリン司祭の追及で、証拠といえるものが全くないこと明らかになってきました。そこで校長はつい「ウィリアム・ロンドンの腕をつかむのをみた」と言ってしまいます。
 フリン司祭が「それだけなのか?」といわれて、言葉に窮します。不良少年のウィリアム・ロンドンの言った噂話(注7)など、誰も信じるはずがないからです。

 すると、突然フリン司祭が校長の机の椅子に座ります。それを見た校長には「この男は自分を追い出して校長になるつもりだ」という疑い(doubt)が再び生じます。
 さらにフリン司祭はメモ帳に何かをボールペンで書き込んでいます。校長は「また私をネタにした説教をする気なのか」と思い、急に怒りがこみ上げてきました。

 そして思わず最後の手段を出します。「今朝フリン司祭が以前いた教区の修道女に電話した」と。
 フリン司祭が少し動揺して「私の過去を詮索するな」と言いました。これは脈があると勘違いして校長はさらに追い打ちをかけます。
 「あなたは、この5年間で3回転勤をしてますね。なぜですか?」

 フリン司祭はさらに動揺して「主任司祭に電話して聞け」と電話機をたたきつけます。
 校長はまた司祭たちが裏で団結して、自分を言いくるめるつもりだと思い「わたしは電話しない」と返します。
 さらにフリン司祭が「どの修道女と話をした?」と聞くので、「いうつもりはない」と返します。

 それから再び押し問答が続くのですが、校長はフリン司祭が徐々に勢いを失っているように感じ、心の中で「やはり間違いない」と確信を強めてこういいます。
「わたしには確信があります。あなたが以前いた教区を調べ、その前の教区も調べます。必要なら証言する保護者を見つけます。わたしは必ずやりとげます。」

 対してフリン司祭は、修道女に教会の外にでる権利はないと怒ります。
 校長は、教会の規則それも修道女を束縛するような規則を持ち出されて、どなります。
「必要なら教会の外にも行きます。たとえ教会から追放されようとも。
 やるべきことをします。たとえ地獄に落ちようとも。」
 (映画では、ここで校長は胸の十字架をはずして机に置きます)

 そしてフリン司祭にとどめを刺しに行きます。
「あなたはドナルドにワインを飲ませましたか?」

 すると、フリン司祭は校長には思いもよらない行動を始めました。
 校長の前に立ち、穏やかな顔つきと声になり、校長に懺悔を促したのです。(注8)

 フリン司祭:「あなたは、過ちをしたことがありますか?」
 校 長  :「あります。」
 フリン司祭:「大罪ですか?」
 校 長  :「そうです。」
 フリン司祭:「それで?」
 校 長  :「わたしは司祭に告白しました。」(注9)
 フリン司祭:「わたしもどんな罪であれ、告白し、赦しを受けてきました。あなたもそうです。私たちは同じなのです。」

 校長はふと我に返りました。あやうくフリン司祭に懺悔するところだった、罠にはまるところだったと思って、「いや違う、私たちは同じではない。」と、懺悔を拒否します。

 すると、フリン司祭が気落ちするのが手に取るようにわかりました。
 完全に決着がついたと思って部屋を出ていこうとする校長を、フリン司祭は呼び止めて、こういいます。
 「私には言えないことがある、あなたにはその理由が想像できないだろうけど。あなたの知識を越えた事柄があることを覚えておいてほしい。」(注10)

 校長は何をぐずぐず言っているのだと思い、せめてもの情けだとして具体的に指示します。
 「転任依頼をを提出し、許可されるまで休暇をとりなさい。・・・(中略)
 よければ電話を使いなさい。」
 そして、校長は部屋をでていきます。「爪をきりなさい」という捨て台詞を残して。

 フリン司祭はしばらく呆然と考え込んで迷ったあげく、とうとう主任司祭に電話をかけます。

 しかしその電話の内容は、校長が指示したものとは全く違っていました。
 そして校長は、自身の運命を自ら予言したことに気づいていませんでした。


 「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か」はここをクリック




(注1)
 前述の 「第1部 劇の背景」の末尾の「(注2)の(1)校長室での会話」を参照。

(注2)
 前述の 「第1部 劇の背景」の末尾の「(注2)の(2)告白」を参照。

(注3)
 「フリン司祭の件と類似した事件が何年か前に起きていて、校長が関係していた」ことを示する重要な伏線です。

(注4)
 映画では、フリン司祭がドナルドの母親と会っていたことを暗示するシーンがあります。司祭たちが3人で豪華な会食をしているシーンです。フリン司祭が笑いながら発言します。
「娘の方は知らないが、母親のほうは太っている。だから言ってやったんだ、あなたのせいだってね。」
 これは、ドナルドに姉妹がいると仮定すると辻褄があった説明ができます。前の方のシーンでドナルドが「ぼくは太ってるかな?」と他の少年に尋ねる場面があります。ドナルドはフリン司祭にも太り過ぎかどうか相談していたのです。そしてフリン司祭が母親と会った時にその話題になったということです。
 もしこの仮定が正しければ、フリン司祭と母親はそんな冗談をかわすほどの信頼関係が成立していたといえます。

(注4追加)
 ドナルドの母親が校長室に入ったときに、校長はラジオをイヤホンで聴いていました。これは校長の性格を知るうえで、大事なシーンです。

 想像してみてください。子どもの学校の先生に呼び出されて、仕事の時間をなんとか都合をつけて学校まで行ったら、先生がウォークマンを聴きながら応対した。

 誰でも怒るでしょう。母親は自分たちがアフリカ系アメリカ人だから、こんな態度をするのだろうと疑うわけです。
 母親は心の中で「校長はよけいな口出しをしないでほしい。フリン司祭に任せておけばいい」と思っていると考えます。

 またラジオは生徒から取り上げたものです。授業中に聴いていたのはよくないのですが、家で聴くのは問題ないはずですがら、校長はすぐに返却すべきです。校長のラジオの使用は私的流用になりますし、だいたい勤務時間中それも来客中にまで悪びれることなくラジオを聴いているのは、生徒が従業中にこっそりラジオを聴いているよりも問題です。
 このシーンは校長が生徒や他の学校関係者には厳しく規則を適用しているのに、いざ自分のことになると平気で規則を無視する管理職であることを示しています。いわゆる「困った上司」の典型なのです。

(注5)
 映画では劇とは異なり、母親が時間がないという理由で母親の勤務先の近くまで校長が外を歩きながら会話するシーンに変更されています。
 当時の修道女は外出が厳しく制限されていて規則違反です。対決のシーンでもフリン司祭も「修道女は外出は禁じられている」と発言しています。外出するには女性教師がしたように家族の病気などの理由を添えて、前もって届け出でて承認を受ける必要があります。
 これも校長が普段は生徒や女性教師に規則を守るように口うるさく指導しているのに、いざ自分のことになると都合よく規則を破る人物であることを示しています。後の「対決」のシーンでは規則破りのオンパレードになります。

 また、街中で修道女をみかけることも少ないうえに、白人の修道女とアフリカ系アメリカ人の女性が連れ立っているのですから遠目からも目立ちます。話に尾ひれがついて「学校内でアフリカ系アメリカ人の少年がいじめられたのだ」という噂になる恐れもあります。

(注6)
 映画では(上記の注5)で述べた外出のシーンで、校長の変化がうかがえます。
 しかし、舞台ではすべて校長室内の会話で、校長の変化は特にないようでした。話の流れとしてはそのほうが自然な感じがします。

(注7)
 上記の(注2)と同じ。

(注8)
 なぜ「フリン司祭が校長に懺悔を促した」と主張できるかは、後述の
 「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か)」を参照。

(注9)
 校長が過去に懺悔をしていた事実を示す重要な伏線です。「誰に、何を懺悔していた」のでしょうか?

(注10)
 フリン司祭が「いえないこと」とは何でしょうか? なぜ「いえない」のでしょうか?
 観客の想像力が問われているのです。全ての疑問に回答できる「フリン司祭がいえないこと」、そして校長は過去に「誰に、何を懺悔していた」のかを想像できるかどうかです。
 私の回答は次の「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か)」以降に示します。

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