山口眞司の舞台

山口眞司 過去の舞台  

過去の舞台・ 2019年 

ダウト    リーフレット   2019.10.29

劇場・料金

下北沢 小劇場B1  

作・演出

原作:ジョン・ハトリック・シャンリィ  演出:大間知靖子

主な出演者

眞野あずさ 山口眞司 伊藤安那 村中玲子

その他

2008年に映画化
出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス


■「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か」

 単純に考えてフリン司祭は昇進したのですから、何か「手柄」をたてたわけです。校長の疑いを晴らしただけでは手柄にはなりません。そしてフリン司祭が「いえないこと」とは何でしょうか、なぜ「いえない」のでしょうか?(注1)
 台詞をなぞっただけでは全くわかりません。思い切った仮説が必要なのです。

 そこで10年ほど前に起こったというセント・ボニフェスのできごとを創作し、フリン司祭が「手柄」をたてる舞台を作ってみました。一番説明しやすい形で簡潔に例示しようと試みたのですが、かなりの長文になってしまいました。

【次のようなドラマを見た記憶があります】

(1)セント・ボニフェス事件

 10年ほど前のことです。セント・ボニフェス教会に、ある修道女がいました。
 この修道女がある疑い(doubt)を持ちました。教育熱心なA司祭が修道院の付属学校の男子生徒に性的いたずらをしているのではないかと。
 彼女の疑い(doubt)は徐々に深まり、ついに日頃から尊敬し清廉潔白なことで知られるスカリー主任司祭に告発するを決意しました。人目のつかない闇夜を選んで、修道院から庭を横切って修士館にいるスカリー主任司祭に会いにいったのです。(注2)

 スカリー主任司祭は驚きました。修道女が修士館に入るのは禁止されているからです。修道女に話を聞くと、A司祭を告発するためにあえて規則を破ったというのです。詳しく話を聞くと、修道女のいうことには全く証拠がなかったのです。
 「そんな話はとても信じられない」スカリー主任司祭は言いました。
 すると、修道女はこんなことを言い出したのです。「A司祭が以前いた教会の修道女に電話をしました。その修道女がA司祭が法を破った前歴があると証言しています。」(注3)

 スカリー主任司祭は怒りを抑えて「修道女が許可なく電話を使うことを禁止されているのを忘れたのか」と聞くと、修道女は「A司祭を告発するためには仕方なかった」と答えました。
 スカリー主任司祭は修道女に「A司祭の件はわたしのほうで調べておく。結論がでるまであなたはおとなしくしていなさい。あなたは既に2つの規則違反をしている。今回は見逃すが、もし今後また規則違反を犯したならば、そのときは許さない」ときつく言いました。

 数週間後、その修道女には転任の命令がでました。スカリー主任司祭がこの思い込みの激しい修道女が突発的に何かをしでかさないように、A司祭から離したほうがよかろうと他の修道院に移したのです。ちょうど修道女の高齢化が進んで人手不足になっている教会があったので、怪しまれることはなかったのです。


 それから半年以上たちました。ついにスカリー主任司祭はA司祭について証拠をつかみ、司教に告発しました。それは「セント・ボニフェス校の男子生徒にいたずらしたことと、以前にいた教区・学校でも法を破った前歴があると告発する匿名の修道女がいる」という内容でした。

 A司祭は罪を認め、教会を去ることになりました。しかし奇妙なことを言い残したのです。
「セント・ボニフェスでの罪は認める。しかし、それ以前にいた教区や学校では法を破ったことはない。その修道女は虚偽の密告者だ。いずれあなたたちも虚偽の匿名の密告者によって、わたしと同じ運命をたどるのだ。」
 誰もA司祭のいうことに耳を傾けませんでした。とにかくセント・ボニフェスで重罪を犯したことは間違いないので、以前の教区・学校のことは詳しく調べなかったのです。
 また、この件は司教と主任司祭で構成される会議のメンバー(注4)にだけ伝えられ、司祭や修道士、修道女などには秘密にされました。これで一件落着のはずでした。


 A司祭が教会を去って1か月後、生真面目なスカリー主任司祭には心配なことがありました。そこで思い切って、すでに新しい教区に移動していたあの修道女と会って確かめることにしました。そして修道女に懺悔を促したのです。

 スカリー:「あなたは、過ちをしたことがありますか?」
 修道女 :「あります。」
 スカリー:「大罪ですか?」
 修道女 :「そうです。」
 スカリー:「わたしもどんな罪であれ、告白し、赦しを受けてきました。あなたもそうです。私たちは同じなのです。それで?」

 スカリー主任司祭が恐れていたとおりでした。修道女は、嘘を告白しました。(注5)

 修道女 :「わたしは彼の以前いた教区の修道女に電話をしたと、私は彼が法を破った前歴があるのを見つけたと、以前スカリー主任司祭いいました。しかし、わたしはそんな電話はしていなかっのです。」
 スカリー:「あなたは嘘をついたのですか?」
 修道女 :「そうです。」

 懺悔したのですから罪は許されます。そして、
「悪い行いを許してもらう代わりに、神から一歩離れた。もちろんそれには代償が必要だ。」と思いました。
 彼女は、「代償」とは尊敬するスカリー主任司祭と離れた教区に行くことだと思っていたのです。こうして修道女はいままであった心の葛藤から解放され、安心しました。


 スカリー主任司祭はこのことを司祭たちに報告しました。しかしその修道女の名前は言いませんでした。
 彼がいうには、懺悔は教会にとって大事なシステムであり、懺悔の内容を明かしただけでも問題なのに、懺悔した人物の名前は絶対に秘匿すべきだというのです。A司祭の名誉回復を一部すること、それから自分自身の落ち度を明らかにするため、やむなく懺悔の内容を報告したのであって、懺悔した者の名前までは明かせないと強硬に拒んだのです。

 しかし多くの主任司祭たちは納得しませんでした。その匿名の修道女を教会から追放すべきだと。これを認めれば気に入らない人物に対して証拠もなく虚偽の告発をして、自身は懺悔をして罪を帳消しにするという行為、いわば懺悔のシステムを悪用した行為が蔓延してしまうというのです。
 そして多くの主任司祭たちはA司祭が言い残した「いずれあなたたちも虚偽の匿名の密告者によって、わたしと同じ運命をたどるのだ。」という言葉を思い出しました。教会の予算からの私的流用、出入業者からの賄賂の授受、修道女へのセクハラや不適切な関係など、叩けばほこりがでる人物もいたからです。

 こうして嘘の告発をした匿名の修道女の名前を明かすべきか、すべきでないのか論争が続く中で、スカリー主任司祭が心労で倒れてしまいました。もともと病弱なうえに、A司祭の告発から今回の論争まで長期間にわたって大きなストレスがあったことも大きな原因でした。そして回復することなく病死しました。
 そのため結果として匿名の修道女は不明なままになったのです。

 すると今度はスカリー主任司祭を支持していた主任司祭たちが「虚偽の密告者である匿名の修道女を探し出そう」と主張し始めました。彼らがいうには「スカリー主任司祭は犠牲者だ。彼の真面目さを利用して嘘の告発をした匿名の修道女が、彼を殺したも同然だ」というのです。

 こうして2つに分かれて論争していた両者の意見が一致したのでした。虚偽の密告者である匿名の修道女を探し出して裁く。
 匿名の修道女への疑い(doubt)が、確信と同じように強く持続的なきずなになることもあるのです。(注6)


(2)秘密の任務

 4年ほど前のことです。フリン司祭は主任司祭に命じられて外出に同行しました。行先も目的も告げられていません。すると司教が執務している教会に到着し、会議用の円卓がある大きな部屋に通されました。そこには、司教はもちろん主な主任司祭が揃っていて、会社でいえば重役会議の席に平社員が1人入ってきたようなものでした。
 「フリン司祭を連れてきました。」と一緒に来た主任司祭が紹介しました。
 「フリン司祭、ここに来たことは誰にも言ってはならないし、これから君に話すことも誰にも言ってはならない。君に特別な任務をお願いしたいのだ。」と司教が話しました。

 すると司教の片腕といわれる主任司祭が、セント・ボニフェス事件の説明を始めました。フリン司祭はスカリー主任司祭にもA司祭にも1度か2度会ったことがあるくらいで、事件の詳細については全くの初耳でした。
 そして匿名の修道女を探し出すための秘密の内部捜査が今も続けられていたのです。

 調査の経緯の説明では、A司祭が以前いた教区(教会と学校)については内密に徹底的に調べられました。A司祭の行動記録はもちろん、学校関係者で噂になったことについては潜入捜査で調べました。そして生徒や卒業生、その父母には、それと悟られないよう聞き取り調査をしたのです。その頃はまだ生徒数が少なかったこと、敬虔なカトリック教徒が多かったので日曜日のミサに出席してくる卒業生や父母も多く、調査もしやすかったのです。
 もちろん並行してセント・ボニフェスの修道女も内偵されました。しかし、いまだに容疑者は見つからないのです。(匿名の修道女は、スカリー主任司祭が告発時には他の修道院へ転院していたので捜査の対象外だったのです。)

 そんな状態で約5年が過ぎました。捜査範囲は徐々に拡大し、とうとう司教区全体に拡げることになったのです。といっても最も可能性のありそうな教区は既に調べられているわけですから、司教も主任司祭たちも内心は諦め半分なのです。しかし虚偽の密告者は確実にいるはずなので捜査をやめるわけにはいかない。とにかく匿名の修道女を見つけるまで全ての教区を調べる、または彼女が尻尾を出すまで何年かかっても内部調査を続ける方針だというのです。

 その秘密の内部捜査の仕事をフリン司祭が担当することになったのです。これから指示する教区へ赴任して潜入捜査をすること、容疑者がみつからないようなら1年か2年で転任させるので、その転任先の教区でまた捜査を進めるようにというのです。
 3か月ごとに結果を報告し、もし容疑者を見つけた場合にはよいポストを与える、つまり出世させてくれるというのです。しかし調査の内容を誰かに漏らしたり、あるいは調査員であることを誰かに悟られた場合は、反対に降格させるというのです。(注7)

 フリン司祭は司教や主任司祭たちを前にして、これは断ることはできない任務なのだと悟りました。また一方で割に合わない仕事だとも思いました。どうやって匿名の修道女を探し出せばよいのか見当もつかないし、今まで5年間も徹底的に調べて全く手がかりもないのに、土台無理な話ではないか。司教区は広くて修道女の数も多い。それに既に亡くなっているかもしれない。
 「結局、自分は出世コースから外れたのだ。自分はあちこちの教会を回って密告者を探しているうちに一生を終わるのか」とフリン司祭は心の中で嘆いたのでした。


(3)学校の改革

 さっそくフリン司祭は指定された教区に転任しました。すでに主任司祭も司祭もいるところに赴任するのですから、教会関係の仕事はほとんどありません。必然的に生徒数が増えて人手が足りていない学校関係の仕事を担当することになります。もっとも虚偽の告発をした修道女を探すのが目的なので、そのほうが好都合です。修道女の多くが教員など学校関係者として働いていたからです。

 働き始めてすぐに、学校は大きな問題を抱えていることに気がつきました。教員をしている修道女の高齢化です。
 この時代、修道女の多くは戦争未亡人でした。第2次世界大戦から約20年を経て、修繕時には30歳前後だった修道女は50歳前後になっていました。修道女の質素な生活は栄養不足になりがちで、50歳代ともなると病気がちの人が多かったのです。目が悪くなる者、僧服の裾に脚を取られて転んだのが原因で歩行が困難になる者などです。

 また授業内容にも問題がありました。戦後高度な内容が要求されるようになった理数系の授業は修道女には不得意な分野でした。戦後の現代史も情報が入手しにくい生活をしているので教えるのが難しい。音楽も宗教音楽ばかりで、現代の音楽を教えられない。修道女の世代交代が進んでいないのでした。

 また、修道女には男子生徒はやっかいな存在で、いたずらを見つけて叱るだけでもひと苦労です。それから少女の悩みは理解できるものの、思春期の少年の悩みについては全くお手上げでした。

 フリン司祭は、少しずつ修道女の負担を減らす工夫をしているうちに、自分が教育者として適性があるのではと思いはじめます。もともと子どもは好きでしたし、教え方に工夫を凝らすと吸収力が強い子どものことですから、効果が手に取るように分かるのでした。

 しかし3か月に一度の司教などへの報告会は苦痛でした。虚偽の告発をした修道女の手掛かりが全くなく、毎回叱責を受けたからです。見かねた主任司祭がフリン司祭に授業の改善に取り組んでいることを報告会で話すよう促しました。
 フリン司祭の話にみな興味津々でした。どの教区の学校も同じ問題を抱えていたのですが、司教や主任司祭は教育の現場には直接タッチしていないので、具体的にどのように手をつけてよいのか見当がつかなかったのです。とりあえず、それぞれの教区から若手の司祭をだして、フリン司祭の授業を見学させることにしました。(注8)

 こうして、フリン司祭は虚偽の告発をした修道女を探し出すという目的のためにほぼ1年ごとに転任するのですが、そのたびに後継者となる若い司祭を育成して残し、新しい赴任先では学校の改善に取り組むということを続けていきます。
 そして司教や主任司祭から、学校改革のリーダーとして評価されていったのです。


 「仮説3:フリン司祭はなぜ昇進したのか(フリン司祭とは何者か」(続き) はここをクリック



(注1)
 前述の「仮説2:校長がいだいた疑い(複数) − I have douts.」の(注10)参照

(注2)
 前述の「仮説2:校長がいだいた疑い(複数) − I have douts.」の(注3)と、
 後述のラストシーンでの校長の女性教師の会話より。詳細は以下参照。
「仮説4:校長が泣き崩れる理由  − I have douts. I have such doubts.」

(注3)
 後述のラストシーンでの校長の女性教師の会話より。詳細は以下参照。
「仮説4:校長が泣き崩れる理由  − I have douts. I have such doubts.」

(注4)
 会社でいえば取締役会のようなものでしょう。

(注5)
 以下の会話は、後述のラストシーンでの校長の女性教師の会話より。詳細は以下参照。
「仮説4:校長が泣き崩れる理由  − I have douts. I have such doubts.」

(注6)
 フリン司祭の最初の説教の最後の締めくくりの言葉です。
 この脚本の欠点をあえてあげると、この冒頭のフリン司祭の説教が何を意味しているのか分からないことです。それでわたしのほうで無理やり関連づけをしたわけです。

(注7)
 このため結果的に「5年間で3回も移動している」ことになります。その理由は司教たちから固く口止めされているため、フリン司祭は話すことができないのです。

(注8)
 舞台の前半のほうで、女性教師が校長からフリン司祭の様子を聞かれたときに「司祭館で男子生徒だけを集めて授業をしています。他からも司祭がきているようです」と答えています。

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