山口眞司の舞台

山口眞司 過去の舞台  

過去の舞台・ 2005〜2012年 


メリーさんの羊2012   リーフレット  2012.11.1

劇場・料金

「劇」小劇場  下北沢 3000円

作・演出

原作:別役実  演出:山下悟

主な出演者

三谷昇、山口眞司、井出みな子

あらすじ
(パンフより)

模型の汽車とたわむれながら老人が語る、メリーさんとひとり息子のトム坊やの物語。小さな机の上に立ち現れる風景は夢か現実か。人生の黄昏にさしかかった孤独な男が自らの人生を振り返り、生きていることの意味を問う。

舞台の感想

この作品は初演から5回くらいみているが、今回が一番良かった。繰り返し演じられることで、メリハリがついた感じがする。

その他

三谷さんがこの作品を演じるのは最後だそうです。


メリーさんの羊2010   リーフレット  2011.11.5

劇場・料金

「劇」小劇場  下北沢 3000円

作・演出

原作:別役実  演出:山下悟

主な出演者

三谷昇、山口眞司、井出みな子

あらすじ
(パンフより)

模型の汽車とたわむれながら老人が語る、メリーさんとひとり息子のトム坊やの物語。小さな机の上に立ち現れる風景は夢か現実か。人生の黄昏にさしかかった孤独な男が自らの人生を振り返り、生きていることの意味を問う。

舞台の感想

(今回は観てません)

その他

今回は劇を観ずに、劇の後の飲み会のみ参加。
劇場の入口でヤマグチとシバタを待っていると、プロデューサーの高木さんから「WEB見たわよ。おもしろいわ、また書いてね」と言われたので、今後のこの劇の可能性について整理してみた。

「メリーさんの羊」の可能性


ホームカミング   リーフレット  2010.4.23

劇場・料金

ステージ円  田原町 5000円

作・演出

原作:ハロルド・ピンター 

あらすじ

イギリス生まれのあばずれ女が大学教授と結婚してアメリカに渡り主婦らしく暮らしていたが、旅の途中に故郷に立ち寄ったとたんに元のあばずれに戻って、大学教授の男家族を翻弄したという話。

舞台の感想

皮肉、皮肉のオンパレード。ノーベル賞作家の風刺劇だ。
大学教授は、口先だけでことに直面すると逃げ出すインテリへの風刺。叔父のハイヤー運転手は、運転のうまさを誇る小市民的な態度への風刺。女を娼婦に仕立ててひと儲けしようとする次男は、金儲けのためなら何でもする強欲な資本家への風刺。ボクサーの三男は、鍛え上げた肉体だけで中身のない野蛮な男への風刺。悪態をつき続ける父親は、組織化できない愚かな労働者あるいは小ブルジョアジー(つまりプロレタリアートにはなりえない)への風刺。
いわば初期マルキシズムの階級思想が模式化されて、それぞれに対して攻撃しているのだ。まだ初演時にはスターリニズムの実態が露見してなかったのだろう。官僚主義に対する批判が欠けているのはそのためだ。当時の時代と空間を共有する観客に、皮肉は体制に突き刺す刃として共感やカタリシスを与えたことだろう。
しかし9.11以降アジアで生きる私たちには、皮肉の意味は理解できず空疎に響くだけだ。時代と空間そして目的さえも観客と共有できない翻訳劇を、観れるレベルに仕立てた俳優陣の力量と努力はすばらしい。特に吉見の今後に注目したい。
それにつけても大学教授をコケにする劇を元大学教授が演出するとは、なんという皮肉。

山口眞司の役どころ

大学教授の役。妻や家族の実態が暴露して、非常識な要求を突きつけられても何ひとつ立ち向かうことなく、自身のプライドを守ることを第一に単身逃げることを考える男。
この劇のインテリのイメージは「保身」「豹変」「体温を感じない態度」で、他のキャラクターの引立て役となった。ただ「普通の観客には下手な役者に見えるかも」という意見があったが、それは観客のほうに問題がある。

その他

Y、S、H、Kと私の5人で飲む。「翻訳劇はもういいのでは」の意見に賛成。あるビジネス雑誌に翻訳体の文章は権威主義・形式主義に利用されやすく害毒だと(たしかある大学教授が)書いていた。欧米崇拝、白人優位論を助長する弊害もある。
翻訳劇も同様だ。古い翻訳体で朗々たるセリフをはくのは快感だろうが、現代の観客に原作の意図をなるべく正確に伝えるという観点からは逆効果だ。もっと時代と空間を共有できる現代の日本の作品を、多少稚拙には目をつぶってでも取り組むべきだろう。
また大阪弁を使うのなら、大阪の人の姿や心、風俗を描いた劇をみたい。


メリーさんの羊2008   リーフレット  2008.5.20

劇場・料金

「劇」小劇場  下北沢 3000円

作・演出

原作:別役実  演出:山下悟

主な出演者

三谷昇、山口眞司、井出みな子

あらすじ
(パンフより)

模型の汽車とたわむれながら老人が語る、メリーさんとひとり息子のトム坊やの物語。小さな机の上に立ち現れる風景は夢か現実か。人生の黄昏にさしかかった孤独な男が自らの人生を振り返り、生きていることの意味を問う。

舞台の感想

この劇を3回もみることになろうとは。そのおかげで脚本に色々な仕掛があることに気づいた。毎回脚本に忠実にやっているとのことだが、渋谷ジャンジャンでの初演(2000年)とは違う箇所がいくつかあると感じていた。
その疑問が解けたのは、初日の打ち上げでの別役氏の話からだ。「机上の鉄道模型の動きと俳優の演じる芝居が重なりあうような劇を作りたかった。今回の上演では鉄道模型の操作がうまくて本当によかった。以前の上演では電車が勝手に動いたりバックしたりなど、ひどいときがあった。」
私がみた
初演(2000年)でも電車がバックし三谷さんが苛立っていたのを覚えている。私は勝手きままに動く鉄道模型を「不条理」の表現なのかと思ったのだが、それは操作ミスが続いた想定外の不条理であり、作者が意図した「不条理」ではなかったのだ。

山口眞司の役どころ

 

その他

劇場で初演の打ち上げ後に、いつもの店(座敷からソファのあるフロアに改装していた)で飲み会
舞台写真(初演)あり


 パンフレット  2007.3.21

劇場・料金

六行会ホール (京浜急行 新馬場駅 徒歩2分)   4500円

作・演出

作:久保田万太郎 演出:大場正昭

主な出演者

菅野菜保之 紅貴代 大原真理子 山口眞司 吉岡健二 袴塚真美

舞台の感想

 久保田万太郎の晩年の作で、昭和30年頃の東京下町に暮らす職人の周囲にいた3人の女性の人生の違いをそれとなく描いた作品。
 1人目は職人の奥さん。裕福ではないが真面目な職人の奥さんとして幸福に暮らしている。2人目は職人の姉で、家を飛び出して花柳界に入り、年の離れた実業家の妻に収まっている。3人目は舞台には登場しない。浅草の大棚の店に嫁いだ女性で、かつての職人の許嫁。
 女性の経済的自立が難しい社会で家族を支えていくには、花柳界に入ってパトロンを見つけるか、万に1つの玉の輿を掴むかであった。そんな生き方を強いられる女性が辛いのは当然だが、彼女たちを見守るしかできない庶民の男たちも辛い。
 ただ、昭和30年ごろから庶民が経済的な余裕を持ててきた時代のためか、職人の奥さんや若い新婚夫婦の妻が、ささやかな幸福をまっとうできるように感じられる。時代の変化を作者は感じていたのだろう。

◎雪/舵 の2つの演目を行う理由
 毎回、2作品を公演して、従来は1本が新派風、もう1本が現代劇風(「円」)に演出されていて、特に2作品の間の関連は見られなかった。今回は演出家を1人に絞ったせいか、多少意図は伺えた。
 「雪」は明治後期の下町が舞台で、一人娘を置屋に下女として売る羽目になった男が、好きなばくちから足を洗おうとする逡巡を描いた作品。逡巡する男の心理を表現しようとしたのか、テンポを遅くしている。「舵」は戦後の時代設定で、遠慮のいらない兄弟たちの会話が主なため、テンポが早くなっている。
 「雪」の1人娘のぎこちない立ち振る舞いは、「舵」の新婚夫婦の妻のしぐさとイメージが重なる。2作品の対比によって、明治、昭和中期の時代の違いを感じた。

山口眞司の役どころ

 職人の弟の役で、兄や姉の生き方を浮かび上がらせるための狂言回しの役割。三社祭にも参加せず、家で将棋を1人で指しているところが、ニートのようで面白い。

その他

 実は、平日の夜の部を柴田、加藤、広渡と待ち合わせて一緒に見る予定だったが遅れてしまい2次会だけ参加。「雪」は眠かったと、さんざんな評価だった。
 後日、祝日の昼の部を1人で見た。眠くなかった。ただし仕事で疲れた後の夜の部で、これを見るのは確かにキツイと思った。昼の部と夜の部で演出を若干変えてもいい。顧客の体調に合わせて、演出を変えることができるのは、プロの仕事である。


枝の上の白色レグホン  パンフレット  2005.6.19

劇場・料金

コレド  千代田線乃木坂駅 3000円

作・演出

作・演出:高谷信之

主な出演者

由木凛、根本俊二、山口眞司、瓜竜健司、廣岡由子

舞台の感想

台風の夜、車の接触事故がもとで山中の別荘で一夜を過ごすことになった、当事者の中年男性と若い男女の話。
NHKのラジオドラマの脚本を舞台向けに翻案したものだそうで、台詞により状況と人物の心理を手際よく整理して提示されていく流れに感心した。その反面、台詞による説明に頼りすぎていて、台詞の内容以外の表現(台詞の間の部分や身体による表現)が不足していたようにも感じる。
また、舞台向けに書き加えたらしい管理人と地主の男女の絡みは、謎めいていて(つまり説明過剰ではないので)興味引かれる。ここらあたりが、ラジオドラマと舞台の違いになるのだろう。

山口眞司の役どころ

若い男女を自分の別荘に連れてきた中年男性。口癖は「近頃の若い者は」。若い世代について特定の型にはめた見方しかできず、命令口調の言い方しかできない中年。
(改めて日本語とは年上や目上の者に対しては尊敬語、謙譲語などが用意されているのに比べて、年下や子どもたちと話すときの言い回しが不足している言語だと思った。)

その他

終演後、柴田、山崎、桜井、広渡、加藤、渡辺(建設関係の人)らの感想。
・ラストの台詞が良かった
・ラストの台詞は昔はよくあった。だから良くない。
・ラストの終わり方が良くない。
・ラスト前の管理人男女のシーンがラストのほうがいい。
・若い女生がいまいち表現できてない。


アフリカの太陽  パンフレット  2005.3.23

劇場・料金

ステージ円  銀座線田原町駅前近く 4200円

作・演出

作・演出:宋英徳

主な出演者

有川博、佐々木敏、丸岡奨詞、山崎健二、廣田行生、山口眞司、中條佐栄子、小松エミ、荒川大三郎、手塚祐介

舞台の感想

家族に見放されたアルコール依存症の5人の男の共同生活(グループホーム)をめぐる出来事。安定感のあるベテラン俳優陣と、綿密な取材に基づいて書かれたのであろう真摯な脚本とによって見ごたえのあるものとなった。
ただし取材に忠実なためか、どこかで既に見聞きしたようなエピソードやキャラクターが多かったことは否めない。これは作者の製作姿勢によるものだろう。「命の大切さを教えるため」に行った男たちの劇中劇と同様に、観客に対して「アルコール依存症のグループホームの様子を知ってもらうため」に作者が書いたと思われ、そのための類型化はある程度やむ得ないとしたのだろう。観客の1人としては押しつけがましく、一方では物足りない感じを受けるが、非難すべきことではない。
むしろ、アルコール依存症の家族からの視点が少ないことが気になる。かつて「あの日、とーちゃんが酒さえ飲んで帰ってこなかったら、お前は生まれてなかっただろうに」というノーテンキな唄があったが、同じ行為が実の娘や嫁、近隣の女性(男性)に及んだ場合は家族そのものが破壊される。家族を守ることを最も期待されている者が破壊者に豹変してしまう恐怖と、加害者自身に意識・記憶がないというやりきれなさ。
アルコール依存症者の家族から本音を聞きだす取材は困難だろうと思うが、そこは作者の想像力が最も必要とされるところだ。

また「アフリカの太陽」というタイトルはピンと来ないし、不適切だと思った。

山口眞司の役どころ

作家志望のアルコール依存症者で、気立てのよい元妻のヒモのような存在。嫌な性格の男を好演。

その他

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業。公共の仕事としてはハコモノづくりよりはるかに良いと思う。
舞台の後、山口、山健、広渡と雑談。山健の「よっちゃん」は、はまり役で、この人の持つ独特の間合いや台詞まわしが光っていた。劇場近くの居酒屋のおばさんが舞台をみて、よっちゃんのファンになったそうだ。




過去の舞台 その1 1990年代

過去の舞台 その2 2000〜2004年